日本人はあの震災から何を学んだのか?
写真はNYタイムズのが3枚。
残りは半年後、1年後に私が撮ったもの数枚です。
この打ち上げられた船の近くの復興マルシェは全国からの見物客で大変な賑わいだったが、この船の解体とともに観光客は激減し今はもうほとんどいない。
マルシェそのものがかさ上げ移転を繰り返し、今は町が新しくできた。
けれども、マルシェで商売をしていた店のほとんどが廃業。商店街は消え、大手のスーパーやドラックストアーがやってきた。毎回尋ねる食堂の親父さんは
「それでも、今年の夏、かっての商店街のみんなで夏まつりみたいのやったよ、、、」と。
サッカー狂の私は、このJビレッジがこんなススキに覆われて荒れ果てた姿は見たくなかった。6号線沿線は悲惨でしたよ、当時。道路標識というか看板には
「野生化した動物に注意!」と。
今はJビレッジも再開したけど、、、
私はこの検問所で捕まってね、1時間近く拘束され何から何まで調べられたっけな、、、
この日の担当は京都府警の連中だったよ。若いおまわりさんたち、京都に奥さんも子供も残して派遣された気の毒な連中だったね。
これはいわき市の有名な海水浴場だった砂浜。
私は「猿の惑星」のラストシーンを思い出してぞっとした、、、。
ここから数キロ上に行くと福島第二原発。さらに数キロ行くと爆発した福島第一原発。
国道6号線は悲惨な状態で、通行車両は限られていた。
ただ、汚染が軽かったいわき市は復興景気、除染景気で大変な賑わい。ホテルはどこも満杯。夜も飲み屋が営業していた。
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